小童須佐神社 御鎮座の由来

四十九代光仁天皇の御宇 宝亀五年(甲寅)四月(七七四)、天下に疫病蔓延人心恐々たる時、小童(ちいさいわらべの意)があらわれて ”我は須佐之 男命の化身であるが、当地は昔から自神の鎮座の地であるが、年積りて祭祀もすたれ、祀る人もないのが甚だ残念だ、今復活して我を祀るならば、この里人等は 悪病に悩まされることは無いだろう” と託宣、その故を以て里人等上下心を協せ、社殿も建立御奉斎申し上げたと、文明元年麓城主綱時の記す由来記は伝えて おります。

大神輿 御祭神 櫛稲田姫命

~網を引くと願いが叶う神輿~
甲奴町小童にある神社の本殿が、祭礼時にお旅所へ二泊三日します。この神社は、備後三大祇園と称される須佐神社の祭礼(祇園祭)の最後に参拝者によって網を引いて移動します。神社名は波梨賽神社といって、櫛稲田姫命を祭神としています。 神社の形は八角形の長柄付きで神輿の形態となっていて、往古は担いでいたのですが江戸時代の初めに台車に乗せて網で引くようになりました。この網を引くと願いことが叶うといわれ多くの参拝者が参加します。 現在の神社は永年14年(1517)年に製作されたもので、「神輿」として広島県の重要文化財に指定されています。なお祇園祭は7月第3日曜日から3日間あり、神社は所日と最終日に移動(神幸、還幸)します。

小童祇園祭り

重さ1.5トン、日本一の大神輿とされる。製作年代は永生十四年(一五一七)大祭には初日武塔社で休息、第三日目本社へ還幸と古い慣例に従って行事が行われております。お供は崇敬者が多数引き綱を引いて奉還します。

お水汲み神事

「天王、甲奴群本矢野村に着かれた際、路上に少しの水出るところあり、その水にて禊したまう、よってこの水、若水とも祇園水とも言う。今でも、六月御祭御輿すましにはこの水を用いる。この水をみだりに穢すものは病を得る。」
その昔、素盞鳴尊が立ち寄られ飲まれた湧き水は祇園水と呼ばれ、小童祇園祭りのお清めの水として汲み取られます。

的に当てない弓神事

~須佐神社の「的弓祭」~  
甲奴町小童にある須佐神社の特殊神事に「的弓祭」があります。 この祭りは1月7日に行われる弓神事の一種で、神職が的に向って矢を1回だけ射ます。 しかし今まで一度も的に当ったことはありません。  この神事は中世に始まったと考えられ、現在の形になったのは江戸時代の初めと思われます。 一年間の厄祭を四方より集め、悪魔の眼に見立てた的の印に矢を射る形で厄を散らすため的に当てないようにしているとのことです。  的の飾られた若松の枝を持ち帰ると一年中の厄災を祓うといわれ、矢を射た後奪い合いが参拝者の間で行われます。  昔は日の出の時刻に行われましたが、現在の神事は11時より行われ正午に終了します。
三次市無形文化財指定

念願が可能岩

~甲奴のパワースポット~
甲奴町抜湯にある「念願が可能岩」は、岩倉神社本殿の後方にあって、近年来、甲奴町のパワースポットの一つとなっています。中世よりほうそう平癒の疫の権現様として尊崇されてきました。  山の中腹に露呈する石灰岩が屏風のようになっていて、古代の磐座信仰からはじまり、現在は大己貴命他矢柱の神様が祭られています。  20cmあまりの岩の間を、願いを念じて通過すれば成就するといわれ、他の地域からの参拝者が多く来られています。

カーター第39代大統領 甲奴町に

甲奴町内の古刹(こさつ)、正願寺の梵鐘が縁でカーター元大統領との交流が始まった広島県甲奴町は、1990年10月に甲奴町をカーターご夫妻が甲奴町を訪問され、以来カーターセンター(アトランタ市)及びジョージア州アメリカス市との交流がおこなわれるようになりました。これを契機に、カーター元大統領の崇高な活動理念である「平和・人権・飢餓・環境問題等」への取り組みに学び、生涯学習の拠点施設として建設したジミー・カーターシビックセンターの完成を祝して1994年7月7日に再度、ご夫妻で甲奴町を訪問されました。中学生と行われたタウンミーティングは、21世紀を担う若者をはじめ、町民にとってもかけがえのない財産となりました。こうして、甲奴町とカーターご夫妻との交流は、毎年実施している甲奴中学校生徒のホームステイ事業をはじめ、友好都市ジョージア州アメリカス市・サムター郡市民との交流に広がり行われています。また、カーター元大統領からカーターピーナッツを寄贈していただき、永遠の交流の絆として地域住民の手で大切に栽培されています。

梵鐘が取り持つ縁で始まった国際交流

正願寺の梵鐘が縁で始まった交流は、1991年以降毎年行われています。中学生のホームステイでは生徒にアメリカでの生活を体験させ、外国の異文化、歴史に学び、併せてわが国の文化、歴史を考えさせることを目標とし、行われています。

円通山 正願寺

~正願寺と友愛の鐘~
宗派曹洞宗 本尊弥勒菩薩 開山宗門の不況のため、後に広島の国泰寺4世となった、量巌宗応和尚により開山されている。開山年は「聖徳の調書」によると、貞享元(1684)年。正願寺の前の梵鐘は、第二次世界大戦末期に、砲弾の資材として呉海軍工廠に供出された。ところが終戦となり、その後の数奇な経緯を得て、アトランタ市のカーターセンターに「平和の鐘」として展示されている。
寺に残されている「鋳鐘建立記」によると、この梵鐘は、文政三年(一八二〇)に一三世孝麟住職の代に鋳造されている。孝麟住職は「打鐘に三種の高徳あり、一には諸賢聖来降す、二には聴者の罪苦を減す、三にはよく衆魔を退散させる」と記し、建立を呼び掛けている。これに応じて約三一〇戸から米銀の寄付がなされている。 鋳造は、「勅許東大寺方惣御鋳物師備後惣大工職家御調郡宇津戸住 丹下利右衛門艸部延良」と記されている。丹下利右衛門は、記録から分かるように、鎌倉時代に東大寺の梵鐘を鋳造した、丹下一族の子孫であって、勅許を得た大変優れた鋳物師である。したがって、長年に渡って築かれた鋳 造技術の元に造られた梵鐘で、どこに出しても恥じない梵鐘であると言える。 一九九〇(平成二)年一〇月二一日、ジミー・カーター第39代アメリカ合衆国大統領は、「平和の鐘」の故郷である甲奴町を訪問され、正願寺にある二代目の「平和の鐘」を突かれた。甲奴町は、このような正願寺の梵鐘とカーター大統領の縁で、アメリカ合衆国アメリカス市と友好都市の提携を結び交流を続けている。

詳しくはジミー・カーターシビックセンターホームページへ