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編集後記

小童村誌

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編集後記

小童村誌編纂委員長 福原 勲

小童村は、中国山地の中に位置し、中央を流れる小童川を挟んで平地が広がり、気候も穏やかな地で、古く原始の時代から郷土の先人たちが住むようになりました。また古代になると早くから現在と同じ区画が形成されました。 そして、中世・近世をとおして世羅郡に属していました。 近代・現代になると、国や県によって市町村合併の施策が推進され、一八八九(明治二二)年に宇賀村と合併して広定村となり、さらに一九五八(昭和三三)年には甲奴郡甲奴町と合併して、甲奴町大字小童地区となり現在にいたっています。

この小童村において、今日まで営々と残されてきた先人たちの足跡をたどり、村誌としてまとめるにあたり、次のことを重視しました。

一、独自色の重視
古代から中世にかけて、周辺の村々が大田の荘に属したのに対して、小童村のみは京都祇園杜(現八坂神社)領小童保として独自性を持っていました。また、広範な信仰を集めてきた祇園牛頭天王杜(現須佐神杜の鎮座の村として、なにかにつけ神社の影響を受けてきました。このような小童村の独自色を重視しました。

一 、資料の重視
幸いなことに、領家文書である「八坂神社文書」、地頭職文書である「田総家文書」、さらに「須佐神社文書」「国郡志御用下志らべ書出帳・小童村」など比較的資料が豊富であり、これらの資料を重視しました。

一、民俗関係の重視
小童村には、質素倹約に努め、勤勉に働く気風が根強くあります。また、神仏への信仰を大変大切にする気風もあります。このような気風を基に営まれてきた生活様式を、聞き取りを中心に調査しまとめることに努めました。

同じような歴史的出来事であっても、身近な郷土の先人がかかわっていることは、格別な重みを持って受け取られるものです。 それだけに郷土の先人の足跡を明かにし、そこから学びさらに次代へ引き継ぐことは極めて重要なことであります。ところが、今日の時の流れは大変速く、先人たちの足跡はその流れの中に埋没してしまいそうな現状です。したがって、今、発刊しておかなければと時間的な焦りがあり、調査や研究の不十分さか生じていると思います。さらに、素人による執筆・編集ですので、不備な点や意に満たない点があると思います。しかし、この村誌が次代の人々の研究のきっかけとなって将来にわたって生かされたり、郷土への愛情と認識を深め、地域発展の一助になればこの小童村誌発刊も意義あるものになると思います。

終わりになりましたが、大変熱心に指導し援助をしていただきました甲奴町教育委員会に対しまして、衷心より敬意を表しさせていただきますのまた、快く聞き取りに応じてくださった方々、資料を提供してくださった方々に厚くお礼申し上げます。

(平成一三)年一二月一日

著作権: 小童村誌 甲奴町郷土史小童地区編
平成十四年五月一日 編集・発行:小童村誌編集委員会

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編集後記