おいでよ甲奴へ愛ターンyouターンいい移住
どんどん収入を増やすアップシフトか?働く時間、収入を減らしてでも自分の時間を増やすダウンシフトなのか? 形川健一さん
こんにちは!おいでよ甲奴へ愛ターンyouターンいい移住です! この連載では、広島県三次市甲奴町に移住をした人の移住にまつわる、リアルな話のインタビュー を掲載していきます。
「都市で働くのが疲れた・・・自然の近くで生活してみたい・・・」
「自分はこのままの仕事でいいのかな?他の生き方はあるのかな?」
「移住ってトラブルがあったりするって聞くけど大丈夫?」
「そもそも仕事ってあるの?収入とか下がるんじゃない?」
そんな、踏み込んだ話も聞いていきます! 移住をするかどうかに関わらず、自分の生き方に悩んでいる方にぜひ読んでいただきたいと思って います。
今回は、2017年に甲奴町に移住をされた形川健一(なりかわ けんいち)さんにお話を伺いました。モバイルハウスで日本を一周されたり、自分の手足を使ってなんでも作る形川さん。その原体験を聞くことができました。
聞き手は東京から2020年に広島県呉市に移住をした福崎陸央(合同会社 逍遥学派)です。
形川健一(なりかわ けんいち)
大
阪府生まれ。高校卒業後、自衛隊へ。27年間の勤務後、ダウンシフトを志し退役。ピースボートに乗船し世界一周や自作のモバイルハウスを軽トラックに乗せ日本を周る。2017年甲奴町へ移住。百姓見習いとして田んぼや畑、大工仕事、酒蔵の手伝いなど多岐渡って活動する。
従軍経験のある元軍人(ベテランズ)と軍人の家族、およびその賛同者により結成された国際的な平和団体、ベテランズ・フォー・ピース(VFP)終身会員。VFPジャパン共同代表。
なんとなく流されて自衛隊になって、気づいたらどんどん昇進してた
ーー:今日はよろしくお願いいたします。形川さんとは自分が今暮らしている大崎下島(呉市)で出会ったことが縁で、いつも良くしてもらっています。 今回のインタビューの企画も形川さん経由でいただいたものでした。いつもはなりさんと呼んでいるので今日もなりさんと呼ばせていただきますね。 早速ですが、なりさんの生い立ちから移住の経緯を教えていただけますか?
形川さん :はい。俺ね、結構ね、小学校中学校までは勉強しなくても、勉強ができちゃう子っているじゃん。そのタイプだったんだよね。小学校はクラスの中心にいて、ガキ大将でもないし、学級委員長はしないけども、ドッチボールするときはキャプテンみたいな。いじめもなく、不平不満もないというか、幸せな小中学校を送ってたんだよね。
ーー:そうだったんですね。羨ましいです(笑)
形川さん :で、 うちから1番近い自転車で通える高校っていうことで、受けた高校に入ったんだけど、これがたまたま結構な進学校で、それまで全く勉強してこなかったから、勉強しないとついていけない。 そしたら、高校3年生の2学期の通知表、ほぼ真っ赤っ赤。卒業できないじゃんみたいな感じだった。それでとりあえず、自衛隊を受けてみようとなった。制服もかっこいいし。落っこちたら、一浪でもして、どっかの大学行ければいいかなって、ふわっとした考えで。なんとなく、流されてた感じだよね。気がついたら自衛隊を受けてたっていう感じです。
ーー:今のなりさんからは想像ができないです。入隊されてからはどうだったんですか?
形川さん :そうだよね。最初のゴールデンウィーク休暇で、もう超やめたかった。頑張ってたんだけど、やっぱり辛くて。もうやめるわと思って、お家帰ってね。(両親から)まあ、とりあえず1、2年頑張ってみればっていうことで、 いわゆる新入社員教育みたいな新入隊員教育が5ヶ月あって、なんとか乗り切ったんですよ。 それでどこに配属するかとなって、海が好きで、船乗るつもりで、海上自衛隊入ったんだけど、航空機も面白そうだなと思って、希望を航空機の方で出したら通って。そしたら今度は勉強がメインになった。それが結構面白くてね、優等賞とかもらっちゃった。そこからは自衛隊に順応してどんどん昇進していった。
動物がたくさん暮らしています
ーー:そこからやめられる過程のイメージが湧かないのですが・・・
形川さん :それで44歳の時、ジブチへの派遣に巡り合った。 本当だったら、行く予定はなかったんだけど、欠員が出たということで予備員だったから行くことになったんだよね。 自 分はその派遣で4番目のポストだったから、最初は一人部屋だったんだけど、予備員だったこととか色々あって13番目になって、気づいたら相部屋に引っ越しすることになった。なんで4番目なのに相部屋なんだって思って、色々上にも相談したんだけど、やっぱり序列が全てってことで、やる気が無くなって。
ーー:今のなりさんだと気にしなさそうですね。
形川さん :さらに、派遣国自体が時限立法(じげんりっぽう)なので、簡単に言うと、できることしか載ってないからできないことが多すぎるんですよ。誰かが困ってても、書いてないと助けられないこともよくある。他にも追い討ちのように色々と重なって、なんのために来たんだろう、自衛隊ってなんか違うんじゃね、と思い始めた。 そこで出会ったのが BE-PALというアウトドア雑誌に載っていた、髙坂勝さんというダウンシフトを提唱した方の記事 。(実際の雑誌のリンクです。)それでダウンシフトしちゃいました。
ーー:え、きっかけは雑誌だったんですか!
自衛隊で働く意味を見失い、ダウンシフトをした
形川さん :これだなって思っちゃったね。東日本大震災から1年後の派遣だったんで、 この先、どんどん、どんどん収入を増やしてアップシフト していくのか、それとも 働く時間、収入を減らしてでも自分の時間を増やすダウンシフト なのか、どちらが本当に豊かになれるの。みたいな記事だった。 自 衛隊楽しくてアップシフトしてたけど、ジブチに派遣されて、正当に見られず、仕事もさせてもらえず、面白くないな自衛隊と思ったところに、ダウンシフトすればいいじゃんって書いて、あ、ダウンシフトしちゃおうみたいな。帰国して1週間後ぐらいに、そのダウンシフトを提唱してる髙坂さんに会いに行った。
ーー:おお〜。実際に髙坂さんと会ってみてどうでした?
形川さん :髙坂さん自身も、六大学出て、大手企業の営業でバリバリ成績残して、同期の出世頭だったらしい。けどこのまま働いてたら、体か心かを壊すと思ったみたいで、9年勤めてた会社を辞めて、1年間日本を放浪して、飲食の勉強して、自分でオーガニックバーをやってた。
で、それが池袋の住宅街にあって、 そこもリノベを自分でやったらしいんで、 行ってみたんだけど、間口1軒ぐらいのお店だから、一見さんはまず来ない中で、
「あなたの記事を読んできました」
「え!」
「アフリカで」
「ええ!そういう人は初めてですね!」
ってなって話が盛り上がって(笑) 髙坂さんから 「じゃあ、 夏だし、6月7月ぐらいかな、千葉で田んぼやってるんで、草取りきませんか。」 と誘われて行きました。
ーー:その時なりさんはまだ自衛隊だったんですよね?
形川さん :そうそう。そっから、田んぼとか。森のお手入れにはまり込んで。週末が面白くなり。 かたや自衛隊の方は、帰国後も、やっぱり疑問がたくさんあって。これダメだ。俺が定年まであと10年頑張って、たとえ2等海佐になったところで、海上自衛隊どころか、この日本は良くなるはずがねえ。と思い辞めました。
ーー:怒涛ですね。甲奴に来る前は日本全国を回られていたと聞いています。大工仕事や畑仕事もその時に?
形川さん :軽トラにモバイルハウスを積んで、日本全国楽しそうなところに 行ってた。facebookとかで、民家改修ワークショップするよって見かけたら、バーって行って色々教えてもらいました。
ーー:じゃあ、SNSを使って次の目的地見つけるか、出会った地で次の場所を紹介してもらうかって感じだったんですね。 何年くらい放浪してらっしゃったんですか?
退職金を使い果たす勢いで日本と世界を周って、日本を見つめなした
形川さん :軽トラウロウロは三年。髙坂さんが9年勤めて1年放浪だったんで、僕は27年勤めたから3年。で、ダウンシフトなんで退職金が1000数百万もらったんだけど、 その間に古民家を買うお金だけ横に置いといて、全部使い切ろうと思って。ピースボートに乗ったり、ブータンに3回も行ったりとかしてた
ーー:その3年間って、どういう時間でしたか? 自衛隊ってある種の閉塞的な場所の中で、トントン拍子に上がってたところから、一気に全部手放してゼロから自分の価値観を再形成するような体験だったと思うのですが。
形川さん :そうだね、やっぱピースボートの影響がでかいのかな。甲奴を教えてもらったのも、当時のピースボートスタッフの安彦さん(広島市中区土橋にて、人と人 人と社会 広島と世界をつなげるブックカフェを運営)繋がりだし、髙坂さんもピースボートに乗った経験があるということで、僕も退職する前から、 2014年の南回りっていうのは申し込んでて。 ジブチで日本の姿を知ることができたけど、あえてもう1回、南半球を回って、外から目線で日本を見たいという目的でした。よく「 ピースボート、楽しかったですか」とか聞かれるんだけど、 日本を見直したいという視点で乗ってるので、楽しいことはあんまりなくて。勉強が多かった、学びが多かったかな。現地港に着いたら、下町をハーフパンツにタンクトップで、スマホだけ持って歩き回るんだけど、やっぱり南半球だから、元々植民地だったっていうところが多くて。 チリなんかも元々植民地で、町の中心部はユネスコの世界遺産に登録されている。 でも、登録されてるのはスペイン統治下時代の古い建物で、現住民の人たちは、山肌の掘っ立て小屋に移動させられて、言語もスペイン語になって、 でも、チリ国旗がはためいてる。大きなラテン音楽も流れてる。中心部の世界遺産はスペイン時代のもの。 何が幸せなんだって、わかんなくなる。でも、幸せそうなんだよ。でも、言語は奪われて、住むところはボロい。中心部はスペイン。でも世界遺産。えーっと、待ってよ。でも、陽気な音楽で楽しそうで・・・幸せとはなんなんだ。って思った。
ーー:なんというか、一言では言い表せないような。
形川さん :そうだよね。ま、幸せの価値観はそれぞれ違う。違うんだろうけど、幸せとはこうだ。みたいなのが、なんか日本ではあるじゃん。
ーー:いい大学出て、いい会社はいって、結婚して〜みたいな感じですか。
形川さん :別にね、正解があるわけじゃないのに、そうならなきゃいけないみたいな考えが多いのかな。
ーー:なるほど。今の暮らしと繋がっているんですね。 世界や日本を周っていて、候補はたくさんあったと思うのですが、甲奴を選ばれたのはなんでだったんですか?
形川さん :やっぱり安彦さんの影響が大きいね。当時、平和文化村を作ろうみたいな団体が甲奴にあって、8年前くらいかな。アメリカの人がいたんだけど、アメリカ人を受け入れてくれるなら大阪人も受け入れてくれるだろうと思って。それと、木工組合が当時1000円で(形川さんが今は組合長を務めています。)使い放題だよとか、信号3つしかないじゃんとか、コンビニないねとか、なんとなく人良さそうだっていう感じがあって、日本を行ったり来たりする時に、広島を通る時は甲奴を通ることもあって。あと、甲奴に入るとなんかホッとするんだよね。
甲奴には川が流れています。
古民家を買って自分で直して、田んぼと畑をやって、食べるのに困らない暮らしに
ーー:それは住んでいない自分も感じます。うまく言葉にできないですが、甲奴に入ったなって感じです。
形川さん :独特の雰囲気があるよね。ここら辺、古墳も多いんだけど、前世とか過去生のどっかでここら辺に住んでたんじゃないかな、みたいな感覚もあって。三次市の空き家バンクを見てたら、 ちょうど理想的な茅葺きのお家があって、「うわ!これぴったりじゃん。ロケーションも物件も額も。」で、2月の末に見に来たんだ。一番寒い時に。田んぼの真ん中で、もう水もちょろちょろ流れてるし。田んぼできるわ、お家の中で焚き火ができるわで。改修は見てたから床が抜けてても、はいはいできますって感じで。うん、これだったら行けるって。で、すぐに交渉開始して、 2月末には鍵もらってて、好きにしていいですかって確認して、6月末に本契約して。
ーー:以前お話しした時に、自衛隊時代は白金高輪でマンション買おうとか思ってたと伺ったのですが、もう全く違うところにいらっしゃりますね(笑)
形川さん :うん。 やっぱり田んぼ、畑をしてると定年がないもんね。で、田舎に来ると、みんな元気そうじゃん。たまに池袋の髙坂さんのところ行く時も、お気に入りの銭湯に行ってたんだけど、 定年してすぐぐらい、60後半か70歳行ったぐらいのおじいちゃんがもうよぼよぼで、湯船に入るのもやっとみたいな。そりゃこんな環境でずっと生活してたらそうなるよねって思って。でもこっちに来ると70代はまだ若手で、バンバン草刈りして、80代になっても走り回って動き回ってる人が多い。90歳になってからようやく落ち着くみたいな。だから都会にいる場合じゃないよね。
左の青い小屋がモバイルハウス
ーー:自分も移住してから、元気な人ばかりで驚きました。 甲奴ではお仕事はどんなことをされていたんですか?
形川さん :移住までに、退職金を使い切れたので、 ま、なんかしなきゃいけないなっていうところで、はじめは大規模なほうれん草農家さんの日雇い作業みたいな感じで、時給850円ぐらいでやってたんだけど、半年くらいして山岡酒造(甲奴町の酒蔵)さんで蔵人募集って言うんで、引き抜かれて今度はそっちに。時給が1050円くらいで、給料18万の状態でした。季節労働なんで、冬の間それくらい稼げると夏は好きなことができる。それを2年くらいしていたらコロナが来て、山岡酒造さんがお酒の生産量を減らすっていうので仕事がなくなったタイミングで、大崎下島の大工仕事とかが出てきた。それで、コロナが明けて今シーズンからは、また山岡酒造さんにお手伝いに来てくれませんかということで行きます。
ーー:仕事が全然途切れませんね(笑)いつも人からお誘いをいただける秘訣はどんなところだと思いますか?
形川さん :人柄だと思ってんだけどな、もう。基本、誘われたことをあんまり断らない。ま、あんまり断らなさすぎると大変だけど。忙しそうにしたくないの。だからできることしか当然受けないし。でも真面目すぎると全部受けちゃうんだろうな。
ーー:言葉で言うのは簡単ですけど、なかなか実践するのは難しそうです。 最後に、移住をご検討されている方にメッセージをいただければと思います。
形川さん :本当に自分のやりたいことをやるのに田舎はいいですよ。だってね、もう家賃が かかんなくなるもんね。固定資産1万1000円を4回払うだけだから、初回だけ1万2000円か。自分の場合はね。そんなの東京住んでたらひと月で飛んでいくよって話ですからね。借りても安いし。
ーー:野菜も米も作れて食うのにも困らなくなりますしね。
本日はありがとうございました!
編集後記
住む場所が変われば、仕事が変われば、幸せになる・・・それまで当たり前だった日常を客観的に見る意味では環境を変えることが大切だと思います。一方で、そもそも幸せとは何か、豊かさとは何か?と向き合うからこそ、自分が納得できる生き方を切り開いていけるのかも知れません。
私自身も形川さんと出会い、なんのために働くのか?お金とは何か?自分は何をしていると幸せなのか、分からなくなります。
甲奴に来た時はぜひ「なりさんち」へ一緒に行きましょう!
聞き手:福崎陸央(合同会社逍遥学派)
編集・撮影:合同会社逍遥学派
後援:甲奴町振興協議会連合会