須佐神社
四十九代光仁天皇の御宇 宝亀五年(甲寅)四月(七七四)、天下に疫病蔓延人心恐々たる時、小童(ちいさいわらべの意)があらわれて ”我は須佐之男命の化身であるが、当地は昔から自神の鎮座の地であるが、年積りて祭祀もすたれ、祀る人もないのが甚だ残念だ、今復活して我を祀るならば、この里人等は悪病に悩まされることは無いだろう” と託宣、その故を以て里人等上下心を協せ、社殿も建立御奉斎申し上げたと、文明元年麓城主綱時の記す由来記は伝えております。 然し再建が右の様な事情であって、創建はあくまでそれ以前の昔にさかのぼるものと推考されています。