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おいでよ甲奴へ愛ターンyouターンいい移住

暮らしが仕事のように 喜友名 隆之さん かほるさん

こんにちは!おいでよ甲奴へ愛ターンyouターンいい移住です!
この連載では、広島県三次市甲奴町に移住をした人の移住にまつわる、リアルな話のインタビューを掲載していきます。

「都市で働くのが疲れた・・・自然の近くで生活してみたい・・・」
「自分はこのままの仕事でいいのかな?他の生き方はあるのかな?」
「移住ってトラブルがあったりするって聞くけど大丈夫?」

そんな、踏み込んだ話も聞いていきます! 移住をするかどうかに関わらず、自分の生き方に悩んでいる方にぜひ読んでいただきたいと思って います。 今回は、2020年にご夫婦で甲奴町に移住をされた、喜友名 隆之(きゅうな たかゆき)さんと喜友 名 かほる(きゅうな かほる)さんにお話を伺いました。オーストラリアで出会ったお二人が甲奴 でどんな未来を描いているのか、必見です!

聞き手は東京から2020年に広島県呉市に移住をした福崎陸央( 合同会社 逍遥学派 )です。

喜友名 隆之(きゅうな たかゆき)
沖縄県生まれ。アジアを旅したあと、鍼灸師になるため上京。5年間働いたのちワーキングホリデーでオーストラリアへ。帰国後、沖縄へ戻り鍼灸師の仕事や土木の仕事を行う。2020年、妻のかほるさんの家族のサポートのため甲奴へIターン。

喜友名 かほる(きゅうな かほる)
広島県生まれ。洋服の専門学校を卒業後、洋服のお直しを行う会社へ勤めたのち、目標だった海外での生活のためにオーストラリアのワーキングホリデーへ。現地で隆之さんと出会い結婚。帰国後は沖縄に移り住むが、家族のサポートのため甲奴へUターン。

1年耐え抜いて続けていくと、本当に楽しい

ーー:本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、甲奴に移り住まわれるまでのお話を聞かせてください。

隆之さん :甲奴に来る前は、私たちは沖縄の名護市に住んでいました。

ーー:沖縄で、お二人とも出会われたんですか?

かほるさん :出会いはワーキングホリデーで、お互いオーストラリアで働きながら住んでたんですよ。バイト先が一緒で出会いまして、ビザが切れたら沖縄に帰るっていうので、一緒に帰って。沖縄には、4年ぐらい、住んでて、結婚して。それで甲奴に帰ってきたきっかけは、 私の母が体調不良により闘病生活を強いられることになったことでした。近くに誰かいた方がいいっていうので帰ることに決めて。 (隆之さんも)じゃあ自分もと。元々、沖縄の人なのに山に住みたいってずっと言ってたんですよ。 はじめは沖縄の山を探してたけど、なかなかいいところないな、沖縄高いし、って言ってたところに甲奴の話が出てきて。こっち来たら山もあるしじゃあっていうので、住むことを決めました。

隆之さん :お母さんの助け、お父さんの助けにもなればってね。

ーー:山に暮らしたいっていう風に思われたのは、いつぐらいからでしたか?

隆之さん :結構前からはあったと思いますね。沖縄は家から5分ぐらい歩けばビーチだったんですけど、 山に魅力があったんですね、僕は。 実際、甲奴に来てみて、最初は「すげえ、うわすっげえ、超楽しい」と思ったんですけど、ここにちゃんと住んで、仕事して、寒い冬になっていく流れの中で、本当にしんどいなっていう時もありました。 でも3年居れば絶対楽しくなると思ってたんで、(かほるさんに)愚痴も聞いてもらいながらやってました。 今、ちょうど3年目に入ってるんですけど、ようやく色々繋がって、すごい、超楽しいって感じてます。 甲奴の中で、どこからどこまで、何をどう伸ばしていけるかっていう段階ですかね。

ーー:ありがとうございます。 時系列が前後してしまうのですが、ワーホリに行かれる前はどういう生活だったんですか?

隆之さん :バックパッカーでアジアを旅していたら、鍼灸師の人に出会って。すごかったのが、無医村って医者のいない村に1人で乗り込んで、 ボランティアで治療されてるっていうような方だったんですけど、村で歓迎されてる姿を見て、本当にすごいなと思って。人を治したり、元気にさせてあげる力を持ってるっていうのはすごいことなんだと目の当たりにして、僕も鍼灸師になろうと思って日本に帰ったんです。 それで、埼玉に住んで東京の学校に通って東京で鍼灸師として働いていました。

ーー:東京での生活や仕事はいかがでしたか?

隆之さん :結構、大変でした。技術とか知識が未熟でも結果を求められますが、新米のうちにそれが出せるわけもなく、 どうしたらいいんだろうなって、色々試行錯誤しながら、やっていました。 それで5年くらい働いて、ワーホリの年齢になったんで、沖縄に帰る前にオーストラリア行って、(かほるさんと)出会ってという流れです。

ーー:ありがとうございます。沖縄に戻られてからは?

隆之さん :沖縄でも鍼灸師をやってたんですが、コロナになっちゃったんで、対人の仕事ができなくなっちゃって。 じゃあちょっと変えようってことで土木系、重機系に転職しました。 資格取って土木、造園の会社に勤めはじめたら(かほるさんの)お母さんの件があって。その会社さんには理解してもらって、退職してここにきました。 こっちでも、ユンボを使う仕事があるので、重機の資格はすごく役に立ってます。

雪降る田んぼ道の中を仕事から帰ってきて、上まで上がって叫んだり

ーー:なるほど。甲奴に移住されてからはどんな仕事をされているんですか?

隆之さん :こっちに来てからは、ずっとお父さんの手伝いよね。田んぼとか。見習いみたいな感じで教えてもらいながら。 夏は空いた時間に、友達でキャベツとかをやっている方がいるので、そこの手伝いをしたり。冬は、イノシシを捌くジビエのところに行って修行してるんですけど。

ーー:農作業は、必要だったからという感じですか?それとも、やりたかったからでしょうか?

隆之さん :やりたかったっていうのもあったんです。 ま、ここに来た以上は、やりたいし、ここの田んぼも、もう担い手がいなかったので。 もう、僕がもうやろうって全部決めて、やり方を習ってます。

ーー:イノシシとか鹿とかも、 山の仕事というか、地域の仕事としてやってらっしゃるんですか?

隆之さん :そうですね、取らないと田んぼが荒らされちゃうっていうので、(かほるさんの)お父さんとか、この地域の方がやってたらしいんですけど、本気ではやってなくて。じゃあ僕やるでということで。しかもとったらね、食わんともったいないし。 嫁さんにやりたいって言ったら、こんなバイトあるよって教えてくれて。いわた屋さんってジビエのお店があるんですけど、そこに電話したら「きていいよ」って。それで一から教えてもらいながら、ずっと呼んで頂いています。もぅ、有難いですよ!

ーー:やっていく中での発見とか、気づきとかってありましたか?

隆之さん :発見ですか。うーん・・・続ければ、超楽しいよ。ていうことだと思います。

ーー:それは、いつ頃感じられたんですか?初めの方から予感が?

隆之さん :いや、もう、最初はしんどかったです。イノシシとか鹿がゴロンと運ばれてくるわけです。その彼らをキレイにお肉に加工して行く中で、わかんないし、出来ないし、手は痛くなるし、めっちゃ、俺、弱音言ってたよね?

かほるさん :最初は辛かったよね。泣いてましたよね。

隆之さん :だから、雪降る田んぼ道の中を仕事から帰ってきて、上まで上がって叫んでたりして。最初はそんな感じだったんですけど、 それは絶対一時的なものって、もう思ってたんですよ。絶対、3年やれば、もう本当大丈夫と思ってたんで、嫁さんにも、「今は本当もうごめん」って言いながら、辛いって言ってたんですけど、でも受け止めてくれてたんで。 で、それが1年経ったら、だいぶ軽くなったっすね。過ごし方とか、体がちょっと慣れるということなので。あの、本当に、移住してください(笑)

実体験が自分を作る

ーー:ありがとうございます。 かほるさんの甲奴までも伺ってもよろしいですか?

かほるさん :私は洋服を作るのに憧れてたんですよね。子供の頃。なので洋服の専門学校に行って。デザイナーまではちょっとできなくて、 洋服のお直しの会社に入って働いてました。 それで、周りがワーホリに行ったことがある人が多かったので、話を聞いててずっと興味がありました。子供の頃から、なんで私って、ここに住んでるんだろうって思ってたんですよ。だから、他のとこに住んでみたかったんです。 それで、英語も好きだったし、海外に住んでみたいと思ってて、そしたら、 ワーホリていうのがあるよって教えてくれた友達がいて、オーストラリアだったら安全な方だし行ってみたいなと思ってたんですが、なかなかお金も貯まらず・・・。それでも行きたかったので、年齢的に最後の最後に、今行かないと行けなくなるっていうタイミングで行きました。確かギリホリってるんですけど(笑)

ーー:オーストラリアの生活は実際に行ってみていかがでしたか。

かほるさん :人生で1番最高だったと今でも思うけど、今もう1回行ってもその時と違うよね。

隆之さん :最高だったね。

かほるさん :そのタイミングで行けて出会った人とかもいて、それも全部楽しかったです。信号待ちとかしてると、英語が聞こえてきて話してる内容とか、横断歩道ですれ違う人と目があったりしたら、挨拶してくれるのとか、文化の違いがすごい好きなんですよ。それは行ってみてよかったなと思います。

ーー:ワーホリを経て、ご自身の変化とかありましたか。

かほるさん :行ってみて、そういう実体験が自分を作るというか。 周りの友達も尊敬の目みたいな感じじゃないけど、海外に住んでたってすごいよねって、いまだに言われたりするんですよね。自分は楽しかっただけなんですけど。

暮らしが仕事みたいな感じ

ーー:ありがとうございます。隆之さんはいかがでしたか?

隆之さん :度胸がつきましたね。カンガルーを引いちゃったことがあったんですけど、自分は日本車だったから向こうはピンピンしてるのにこっちは一大事になってたりとか。色々あったんで。 オーストラリアで横断している時に泊まっていたところがキャンプ場で、 車で好きなところに入って、炊事場があって自由に使って良くて、1日1000円ぐらいなんですけど。 朝起きたら、カンガルーがめっちゃいるんすよ、そういうのとかね、うわ、キャンプめっちゃ最高って思いました。

ーー:すごい光景ですね。

隆之さん :だからキャンプ場したいっていうのは、まあ、なんかね、ああいうのやりたいという。

かほるさん :憧れるよね、ああいう感じとかね。

隆之さん :目が覚めたら、何かがいるみたいなことができたらいいなと思うんだけど。

オーストラリアでのお二人の写真

ーーありがとうございます。今までお話を伺ってきた中で、自然の面白さや豊かさ、あるいは厳しさみたいなのもあると思うんですけど、山奥ならではの暮らしの中で日々感じられていることってありますか?

隆之さん :良さはなんでもある。飯に困らん

かほるさん :食べるのもほんまにね。

隆之さん :しかも新鮮で、タダでとれる。

ーー:今回のインタビューでお話伺ってる方全員おっしゃってますね。 食べるものに困る心配はしてない。全然作れるし、あるし。といった感じで。

かほるさん :それが楽しいよね。秋になったら栗拾ってブルーベリーでジャム作って、うまかったね。 春になったら山菜とたけのこでご飯作って。なんかこう、自然と一体化してる気持ちみたいな。収穫の楽しみとか、植える楽しみとか、何をどこに植えたらどうなるのかと。そういう勉強も全部楽しいし。 でも一度、みんなで頑張って植えたのに、一気に全部病気になっちゃったことがあって。それはほんま情けない気持ち。本当に生まれて初めて、情けないっていう気持ちを勉強したんですよ。 良いのも、辛いのも両方してますね。

隆之さん :暮らしが仕事みたいな感じになってきてんのかな。結構理想かも。楽しいですね。 それがまたお金になってくれば。ま、めっちゃ稼げるとは思わんけど、そういう流れがもっとできたら良いなって。 それで新しい人も入ってくれたら。

地域に信頼をしてもらって、新しい移住者を増やしていきたい

ーー:ありがとうございます。甲奴に来て3年経って、これからやってきたいことはありますか?それこそキャンプ場の話もありましたが。

隆之さん :ゴールから話すと、この地域に若い人が住んでほしいんですけど、そのためには今やっている田んぼを引き継ぎながら、信頼されるようにちゃんとした稲を育てて行けるようにしたいですね。それと、キャンプ場をつくって人を集める。で、体験できる場所を作ってそこで循環を生みながら、0.7パーセントの人が、ここに根付いてくれたらいいなって思ってます。

かほるさん :私は(隆之さんに)ここに来てもらったっていう恩があるので、その、夢を叶えるお手伝いしていきたいなと思いますし、もうすでに住んでる方とかが、嫌な思いをされずに、みんなハッピーになってお互い良かったねって言ってもらえるようにしていきたいです。

ーー:お二人の思い描く場がすごく楽しみです。 新しい人が来て欲しいというところで、ご家族やパートナーと一緒に移り住むことについて伺いたいのですが、アドバイスやイメージした方がいいこととかってありますか?

かほるさん :私たちの場合、お父さんがここで育って、周りの人とずっとうまくやってきている。すごく忠実な性格の人なんですよ。敵を作らなかったので自分達にも優しいんです。すごく恵まれてると思います。 その土地に全くの無関係だった人たちが移り住むときは、ご近所の方をシャットダウンせずによろしくお願いいたしますって行った方が良いと思う。うちの子がお世話になりますとかね。当たり前ではあるんだけど、都会だと隣の人も知らないってあるじゃないですか。近所の繋がりが大事だと思います。

ーー:地域の方とのつながりが決して煩わしいものではなくて、すごく豊かというか。もちろん大変な時もあったりするけれども。 あと、なんか横の人がいる安心感みたいのもあるなって、自分も暮らしてて感じますね。

かほるさん :とりあえず誰のことも大事にした方が良いよね(笑)

隆之さん :特に消防団とか。地域に貢献することが大事だと思います。1個でもいいと思うんですけど、所属して、 そこで和を広げるっていうのが1番いいのかなって思います。 でもそれも1年目は辛いっす(笑)

ーー:やはり1年(笑)

隆之さん :でもちゃんと出席して、できなくてもやるっていうので評価されていくから。そしたら、周りの人が一緒にあれしようとか、これあげるとか言ってくれるんで、先輩が。だから、1年は頑張ってみる。

ーー:ありがとうございます。 最後に移住を検討されている方にメッセージをお願いいたします。

隆之さん :まず、来てほしいってことですね。それで、例えば、僕らだったりとか、若い方、あとは色々気兼ねなく話せる場所を作ってくれてるところとかでちゃんと話を聞いて、それで何回も通ってほしい。自分に合ってるかどうかっていうのを、しっかり胸に手を置いて考えて、一時の感情に流されずに。それで生活ができるのかどうかを考えるのが大事だと思います。 あと、ここは聞いてもらった通り、絶対生きてはいけるんで。もう決断したらやるだけです。協力する人はいっぱいいると思うんでやりましょう!来てください。

ーー:ありがとうございました!まずは甲奴へ行ってみましょう!

編集後記

転職や移住などが気軽に行われる現代。まずは3年間という言葉もあれば、違うと思ったら早く判断した方が良いという教えもあります。どちらが正しいというわけではありませんが、喜友名さんご夫妻のお話から、時間をかけるからこそ見える景色や、育むことのできることがあるのだと、考えさせられました。
そして人だけでなく、自然との関係を結べることも、こうした田舎ならではの特権と言えるのではないでしょうか。すぐに判断をせず、向き合い続け、自分なりの道を発見する。そうした手探りの試行錯誤が、自分自身の豊かさの源を知る手掛かりなのかもしれません。

聞き手:福崎陸央(合同会社逍遥学派)
編集・撮影:合同会社逍遥学派
後援:甲奴町振興協議会連合会